佐々木ゼミ生 研究テーマ(4年)  トップページへ

4年生には,3年時の論文を深めるような内容の研究を求めています。興味ある論文があれば連絡ください。

3年生の研究はこちら

※本学部では,卒研は卒業必修ではありません。3年次でまとめた研究レポートをもとに,各自が加筆・修正を行っています。

★ゼミ生の卒業論文が学術論文に掲載されました!

櫻木大己・佐々木 緑 (2014):グローバル化における伝統食品産業の動向-広島県府中味噌の事例,『エクメーネ研究』3,1-16.(PDF



 ◆ゼミ写真はこちら


更新が滞っています。。。

2012年度生(10名)

 

浅尾 颯馬
卒業研究テーマ 農産物の輸出が地域農業に与える影響 〜広島県のぶどう輸出を事例に〜
研究概要

 近年、農業分野においても貿易の自由化がすすめられ、グローバル経済が進行している。そうした中で、国内でも農産物を輸出していく動きが活発化している。その要因としては、少子高齢化による人口減少が原因での国内マーケットの縮小と、東南アジア諸国の経済発展により、富裕層と人口の増加によるマーケットの拡大があげられる。  本稿では、このような動きの中で、農産物の輸出が地域農業にどのような影響を与えるのか、広島県のぶどう輸出を事例として考察している。研究方法は、参考文献及び、関連機関への聞き取り調査・実地調査である。  広島県のぶどう輸出の始まりは、2004年である。2013年現在まで続いているが、課題は多くある。海外での取扱店が少ないことや、輸送費がかかることによる価格の上昇や、輸送中の商品ロストなどである。ぶどうの生産量が少ないことも課題となっているが、広島県のぶどうの栽培面積・収穫量・出荷量を調べたところ、年々上昇していることが判明した。さらに、地域農業の活性化に努めている企業にも注目した。例として、三次ワイナリーとぬまくま夢工房を挙げている。これらの企業の成長にもぶどうの生産量は左右される。  輸出されたぶどうは、海外のぶどうよりも、2〜5倍程の値段で売られていることも判明した。これだけ高いと、売れないことも懸念されている。しかし、日本のぶどうは品質が良いため、現地の富裕層に高評価を受けている。  これらの結果により、4つの地域農業に与える影響があることが判明した。1つめは、データを見てもらえばわかるように生産意欲の向上である。年々、栽培面積は増加しており、生産意欲が向上していることの証明である。2つめは、今後の需要増加が見込まれる海外において高値で取引されることによる収入の増加である。さらに、国内市場での価格下落した時のリスクの分散になり、収入の安定にも影響している。3つめは、生産量の増加である。日本の消費量は飽和状態であるが、海外での消費量は増えている。輸出をすることにより、生産量は増加するのである。4つめは、企業も関連している。上記した3つの影響により、広島県のぶどう生産が活性化することにより、ぶどうの加工品を取り扱う企業も成長する。それにより、地域農業も、さらに活性化されるのである。

 

栗栖 大周
卒業研究テーマ 広島市西部の埋め立てによる水産物への影響
研究概要

 本論文では広島市西部開発事業にスポットを当て、埋め立てによる水産物への影響を参考文献や聞き取り調査、実地調査をもとに考察したものである。 まず埋め立て事業の方針が工業や産業の発展を土地利用により実現するものであると同時にそれに伴う干潟などの海洋生物にとっての重要な地形を消失してしまうことは公害や環境破壊に起因するものであり、埋め立て事例として対象的な神戸と東京の谷津干潟をあげて、埋め立ての及ぼした環境影響について述べた。 次に広島市西部開発の概要を埋め立てによる土地利用により西部流通センターを交通至便な地点に設立することで、流通を円滑、頻繁な流通の相互交通を減少させることにより、輸送のコストダウンと物価の安定をもたらし、工業や産業に大きな利益を与えたという事実と、埋め立てによる漁場の消失により漁場改善事業が課題となったことをのべた。 そして埋め立て以前の漁業と埋め立て後の漁業の比較を行ったところ、埋め立て以前の漁業は干潟中心の漁業で主に牡蠣やアサリが獲れたが、埋め立てを行ったことにより牡蠣の養殖は浅海から沖合の筏に転換され、また魚も放流や栽培漁業を行いながら沖合へと漁場を移していった。 最後に考察だが埋め立てがもたらした漁業の変化とその要因は、干潟がなくなってしまったというのが直接的な原因であるが、間接的要因として私たちの暮らしの利便性を追求した結果、環境に負担がかかり漁業が困難な環境を自ら作ってしまったと考える。広島市の漁業就業者は年々減少しており、高齢化が進み深刻である。しかし広島市の漁獲量は1990年から上昇傾向にあるので、埋め立て以前の漁獲量には及ばないが放流や栽培漁業の結果であると考える。

 

竹治 友恵
卒業研究テーマ 広島県の醤油のこだわり 〜川中醤油の普及〜
研究概要

 本稿の研究目的は、広島発祥の川中醤油株式会社の醤油の普及について考察することである。研究方法は、参考文献および現地調査である。現地調査は、川中醤油の直営店での商品調査、醤油の試飲、醤油アイスクリームの試食、工場見学によるものである。また、広島市八丁堀にある広島県醤油協同組合連合会の方に直接話を伺い、醤油に関する資料を頂いた。まず、醤油会社の分布とその背景について調べた。全国に1447社の醤油会社があり、広島県の醤油会社数は、福岡に次ぐ2位の67社である。しかし、広島県の醤油出荷数量は全国シェア0.43%と低いことが分かった。つまり、地元の風土や、塩分控えめで旨味・甘味の強い地域に合わせた醤油を作り、主に地元へ出荷している零細企業が多いと考えられる。川中醤油の主な販売方法は、問屋・直接販売・ネット通販・口コミ・お試し品の提供・ダイレクトメールが挙げられる。創業当時は、広島県の現在の沼田地域のみで作られていたが、昭和時代の終わり頃、東京や大阪に販売されるようになった。直営店では、試食・レシピ紹介・醤油製造のビデオの閲覧ができ、醤油の基礎知識から川中醤油の商品について知ることができる。販売だけでなく、醤油について知ってほしいという姿勢を見せることも販売戦略の一つである。川中醤油のこだわりについては、ゆずやすだちは減農薬栽培のものを使用し、素材本来の旨みを引き出すために自社で独自の仕込みをしている。このようなこだわりにより、川中醤油の商品が“ザ広島ブランド”に認定されていることが分かった。広島発祥の川中醤油が普及した要因は、川中醤油が地元に根付いた企業であり、数々の受賞・認定により知名度が上がったことが分かった。その結果、徐々に普及していったと考えられる。よって、研究目的の広島発祥の川中醤油株式会社の醤油がどのようにして普及したのかは、地元に根付いた醤油造りをし、味以外の醤油の魅力も知ってもらおうという姿勢が普及に繋がったのではないかと考える。

 

田中 祐希
卒業研究テーマ 外国産松茸輸入による国産松茸への影響
研究概要

 本稿の研究目的は、外国産松茸輸入による国産松茸への影響について考察することである。研究方法は、参考文献および現地調査である。現地調査では広島市におけるスーパーや八百屋での外国産・国産松茸の購入、試食によるものである。 まず、外国産松茸の輸入を開始した時期に注目した。国産松茸の生産量は1941年に12,222tのピークを迎えた後、そこから松茸の生産量は、全国的に減少の一途をたどりはじめ、1991年には267tと1941年に比べ45分の1となり、急激に減少していることがわかる。1970年にかけて大幅な減少傾向にあると同時に、1970年代に外国産松茸の輸入が始まった。このことから国産松茸の減少時期と外国産松茸の輸入の時期がずれており、外国産松茸が与える影響はほとんどないことがわかった。しかし、少なからずとも生産農家の意欲低下があるのではないかと考えた。1960年にアカマツ林の生産量のピークを迎えた後、アカマツ林は減少傾向にある。降水量により松茸収穫数も大きく変動することや、マツ材線虫病(松喰い虫)の蔓延など、そのリスクを考えるとアカマツ林を手入れするモチベーションを維持していくことは難しいのである。さらに国産松茸の減少に伴い、代わりの外国産の松茸の大量輸入による価格の高騰が原因で、一般の家庭では手が届きにくくなっているである。国産松茸は、食卓とは縁遠い存在になりつつあり、日本人の松茸離れが加速しているという悪循環が生じている可能性がある。以上のことから松茸農家数が減少しているのではないかと考察した。

 

蔦岡 朋也
卒業研究テーマ 遺伝子組換え農作物の栽培面積が急増した背景
研究概要

 本稿は遺伝子組換え農作物の栽培面積が急増したことに着目し、遺伝子組み換え農作物が栽培された歴史的背景と栽培面積のデータから考察した。遺伝子組換え農作物の栽培状況が急増した背景は文献や聞き取り調査で以下のことがわかった。米国の国をあげての推進、途上国の栽培拡大、除草剤耐性大豆の生産量の増加という3つが挙げられる。遺伝子組換え農作物とは他の生物から有用な性質を持つ遺伝子を取り出し、遺伝子組み換え技術を用いて農作物の品種改良に応用したのが遺伝子組み換え農作物である。本レポートでは1996年に遺伝子組換え農作物の商業栽培が開始されて、全世界で合計170万haから2011年には1億6000万haという16年間で約94倍にも上る急激な栽培面積の増加にある背景を明らかにして考察をした。その中で、最初に栽培が認可されて世界で一番栽培面積の多い米国が国を上げて推進。ブラジルなどの発展途上国による栽培の上昇により栽培面積が増加していった。また、遺伝子組換え農作物の中で最も多く栽培されている除草剤耐性大豆の存在が分かった。除草剤耐性大豆は特定の除草剤に体制を持つ遺伝子が大豆に組み込まれており、除草剤をまいても枯れないようになっている。世界の総栽培面積に占める遺伝子組換え作物の割合(2011年)を見てみると、作付面積全体を10,000万haとして大豆は非組換え農作物が2,450万haに対して遺伝子組換えが7,540万haとなっている。既に非組換えよりも遺伝子組換えの方が約4倍もの栽培面積だと分かった。この3つの事から遺伝子組換え農作物の栽培面積が急増した背景を明らかにした。

 

橋川 駿
卒業研究テーマ 農船の復興への課題 〜豊町における事例〜
研究概要

 本研究目的は、呉市豊町を事例として、1960年前後に活躍した農船に、昨今の排気ガス問題などの地球環境問題を抱える物流問題を解決・改善するモデルケースになれると考え、復興していくために、現在の物流の現状や減少していった背景をふまえて、課題点を考察していくことである。本レポートの調査方法は、参考文献および、現地の役場にて行った電話調査、そして現地にて行ったフィールドワークである。農船が現れた背景には、大長みかんやレモンが栄えだしたころの豊町で、耕作面積に対しての、人口が多かったので、みかん農家やレモン農家が、大崎上島や大三島、岡村島などの島外に耕作地を求めて出かけていった。これが「出作」と呼ばれるものであり、この出作をする上で、近隣の島への行き来、収穫物の運搬に使われていたのが「農船」である。農船の数が増えていったポイントとして、手こぎだった農船に動力が使われ始めた1935年ごろと、みかんの価格が安定し、高い値で売買されていた1950年〜1960年代にかけてであることが分かった。減少していった背景には、1972年のみかん価格の暴落と、架橋や車製造技術の発達に代表される、交通網の発展の2つポイントが挙げられた。復興していくための課題点には、耕作人口の減少・後継者の不足や、出作地先の農業ではなく、豊町内の農業の衰退、そして農船の老朽化、船の環境の変化など様々な点があることが分かった。今後に関しては、農船が活躍していた時のような景観や活気が再び海上に戻ってくる日もあるかもしれないが、フィールドワーク等を行った結果、現在現役で農船を使っている農家の方(2隻)もかろうじてやっている状況で本音としては今すぐにやめたいとのことだった。また町としても農船復興のメリットはほとんどなく復興する可能性は0パーセントであると分かった。しかし、農船のおかげで豊町のみかん産業、ひいては豊町自体が発展したのは事実であるということもあわせて分かった。

 

原田 裕基
卒業研究テーマ 棚田が地域に与える影響
研究概要

 本論文は、棚田の歴史・役割・保全活動と広島県広島市安佐南区沼田町奥畑を事例とし、棚田が地域にどのような影響を与えているのかを明らかにすることを研究目的としている。研究方法は、農政局の資料や農業センサス、現地での聞き取り調査により、グラフや図を作成する方法をとっている。?章では棚田は水田の面積が狭く、軽トラックや大型機械が入れないことが多いため作業効率が悪い。また、近年の農村の過疎化や高齢化・少子化の影響で余計に農業の担い手不足が問題になっていることがわかった。さらに棚田のある地域は山間地域に多いため、稲が荒らされるなどの獣害も問題になっていることもわかった。それら山間地域の農業の問題を解決するために?章では棚田百選の認定により、棚田の美しい景観や洪水防止・水源涵養・多種な動植物の生息空間を保全し、農業・農村の発展を図っている。また、棚田学会や全国棚田連絡協議会、棚田ネットワークなどの組織でも棚田保全活動をしている。具体的には、棚田米と一般の米の差別化を図り、棚田米を棚田応援米と棚田保全を消費者に呼びかけるなどをしている。?章から棚田は、洪水防止や水の浄化、地滑り・土壌浸食防止、多様の生態系保全から、貴重な自然を保全することができる。そして、貴重な自然の保全をするためにボランティア団体等が自然体験活動を行うことで、参加者である子供からお年寄りに自然や環境の保護意識を啓発させている。?章の棚田オーナー制では、地域の非農家や地域外住民に農業を実際に体験してもらうことで地域活性化を目的にしている。同じく?章の中山間地域直接支払制度は中山間地域に対する所得補償政策で耕作放棄率の増加率が平地よりも低い結果となっている。これらのことから、棚田という特殊な地形は、人々に自然や環境に興味安心を与えて保護意識を啓発させていることだけではなく、美しい景観や生態系の保全、地域の活性化や地域・国土の保全に繋がっていることがわかった。

 

村上 健
卒業研究テーマ 広島かきの生産に伴う地域への影響
研究概要

 日本人のかきの文化は古く縄文時代、弥生時代から天然の食べられてきたとされている。養殖かきの始まり1532〜1555年とされている。その中で広島県はかきの生産において全国1位の生産量である。本稿ではこの日本人にとって親しみのあるかきがなぜ広島県で有名なのか、それに伴い地域へどのような影響を与えているのか考察している。研究方法は参考文献及び広島県内の漁協の活動での調査である。広島県のかきの養殖文化の初めは原始的な方法だったため、生産量もわずかであったが、1953年に竹による筏式垂下法の発明により、漁業の沖合化を可能にし、漁業面積が拡大し生産量が比較的に伸びてきた。さらに主に広島かきが養殖されている広島湾は、島や岬に囲まれ、静かで潮の流れも適度にあり、かきの生育に良い条件が揃っている。広島県はかきの生産量1位なので漁協も発展している。漁協の地域への取り組みとしては、広島市水産振興センターを例に上げている。地域への貢献としては漁業フェスティバル、団体見学、かき祭りなどの行事が主である。この行事はかきが有名は広島ならではのものである。これらの結果により、広島かきが生産量1位なことによって、地域へ影響があることがわかった。広島県はかき養殖に恵まれた場所であるため、生産量1位になることができる。この発展している漁業によってかきフェスティバルなどが開かれ、地域住民が身近にかきと触れ合うことができ、かきフェスティバル目当てでくる県外の人々が地域にくることによって地域貢献に役立っている。

 

森脇 颯太
卒業研究テーマ 輸入牛肉が国内に与える影響
研究概要

 本稿は、現在の社会問題として、TPPへの参加という問題を、1991年に行われた牛肉とオレンジの輸入自由化と関連させたものである。国産牛の歴史を牛肉の輸入自由化と関連させ、国内の経済・貿易・生活・文化に与えた影響を考察した。調査方法としては、参考文献および、聞き取り調査である。また、国産牛の定義および、歴史を明らかにしていき、牛肉の輸入自由化における、メリット・デメリット、価格の変動・農家数、政府・JAの対策、消費者の意識の変化という点でも国内に与えた影響を考察し、以下のことがわかった。 輸入牛肉が国内に与える影響としては、?農家の規模の拡大,?国内産牛肉の生産量・消費量の減少,?食料自給率の低下の3つがあげられる。輸入牛肉自由化の影響は、メリットだけではなく、デメリットも生むということが明らかになった。本稿では、政府やJAがそのデメリットが生まれる場合の対策などを聞き取り調査によって明らかにし、それがどのような影響を与えたかを考察した。また、農家数や生産量などの推移によっても、輸入自由化後の農家の経営形態の特徴を明らかにした。消費者の意識という点でも、狂牛病などの事件により、意識の変化が見受けられ、国産牛肉に影響を与えていたことが明らかになった。輸入自由化以降、牛肉の消費量が増加傾向にあるのに対し、生産量は減少傾向にあるため、品質面を重視している消費者ではあるが、国内産の生産が減少傾向にあるため、輸入牛肉に依存せざるを得ない環境にあることがわかった。最終章では、輸入牛肉が国内に与えた影響の3点について、グラフを用いて明確にした。輸入自由化は、日本の農業全体においても大きな影響を与えていることがわかり、食料自給率などにおいても、われわれ消費者においても、影響を与えていた。消費者の意識が「味」や「価格の安さ」から「高品質」といったものにかわっていったことが要因として明らかになった。消費者に対し、安心な牛肉を安定的に供給することが、国内産牛肉の役割であると明確になった。現在社会の問題である、日本の農業の存続は、生産者だけでなく、わたしたち消費者にも深く関わってくるものだと考える。

 

松下 佳太
卒業研究テーマ 「世羅高原こしひかり」が世羅町の農業に与えた影響
研究概要

 本論文の研究目的は、世羅町には「世羅高原こしひかり」というブランド米が存在しており、このブランド米が作られた狙い、そしてブランド米が作られたことによる世羅町の農業への影響について明らかにしていくことである。そして、世羅町への農業の影響を調べていく中で、「世羅高原こしひかり」がブランド米に認定される前後の農業の違いについても明らかにすることを目的としている。 この本論文の調査方法は、参考文献及び現地調査、ネット上の「世羅高原こしひかり」について記載されているページである。 上記に述べた方法で調査をした結果、世羅町は未来を見据えた農業を行うという事実が明らかになった。特別栽培米として認証されるために、化学合成農薬や化学合成肥料の使用量を地域の慣行の50%以下に抑えることを達成し、その結果、アイガモ農法などをおこない生き物の力で害虫退治をおこなう事実が見つかった。そして農薬の使用などを控えたことで、田畑は生き物にとって生活しやすい環境へと変化し、生き物が世羅町の田畑に帰ってきた。このことにより、生き物との共存、未来を見据えて農業をおこなっていくという意識を持ち始める人たちが出てきたという事実にたどりついた。そして、世羅町の行っている農業支援に加え、これからの課題についても記載していく。まず世羅町の行っている農業支援は、JAなどから機械散布などが行われている。その内容は、良質な米を生産していくためには、土づくりがとても大切と言われている。その為、完熟堆肥などの有機物施用を上手に行っていく必要があり、スーパーコンを10a当たり700~100kg使用し、春先までにすき込むことや、スーパーコンを10a当たり500~100kg使用し、春先までにこちらもすき込む。また、土づくり肥料の機械散布を利用することも進めており、その理由として、良質な米を安定生産させることを確立し、コストの低減をはかるなど様々な農業支援が行われている。 これからの課題として、まず抱えている問題に高齢者の人口比率が多いという問題が膨らんできている。高齢者が増加している為、高齢者一人一人の作業範囲が限られている状態で、遊休農業地なども現れている。そのような問題を解決する課題として、いかにして若者を世羅町に呼び寄せるかということである。その問題を解決する為に世羅産業創造大学の設立を利用し、IターンやUターンの農就労者を増やすということだ。世羅産業大学の存在を知らない人たちがまだまだいる。そのため、世羅産業創造大学の存在をより多くの人たちに知ってもらい、農業に興味がある人たちの意識を世羅町に向ける必要があるであろう。

 

2011年度生(4名)

岩本 侑也
卒業研究テーマ 米消費の低迷がもたらす今後の影響
研究概要

 現在日本の食環境を取り巻いているのは海外からの輸入品である中で、日本にもともと存在している米消費が危ぶまれている。パンやパスタなどの米以外の食べ物の消費が右肩上がりになってきている。米よりも手軽に摂取できているのが消費向上につながっている。その背景には麺類を多く摂取、食事量全体の消費が低下している、以前よりも油脂や肉類を多く摂取していることが大きく関係している。また消費低迷の原因には女性の社会進出が関与している。夫婦共働きで帰宅してから女性が料理を作る頻度が下がっている。調理の手間を省くために冷凍食品や電子レンジを用いた料理が大部分を占める。また、家で食べるよりも仕事帰りに直接ファミリーレストランなどで食事を済ますケースもある。一番主流になっているのは冷凍食品や惣菜を購入して家で食べる「内食」である。食のスタイルが自由化、多様化しているのが今の日本である。
米離れが顕著になってきている中で、脚光を浴びているのが米粉を用いた「ホームベーカリー」である。従来は小麦粉からパンを作るものであったが、米から作れるということで注目されている。このホームベーカリーの進出の背景には日本人の「脂質の過剰摂取」や「朝食欠食」を改善する効果もある。このホームベーカリーの普及が今後進展していけば日本の米離れに歯止めをかけることとなる。今後は米粉を用いた商品の開発やマスメディアを通して大勢の人々に認知させていくことによって消費促進を狙っていくべきである。

 

岡本 彩香・土屋 佳織・福本 珠希
卒業研究テーマ 広島におけるお好み焼き店普及の要因
研究概要

 本レポートは,広島においてお好み焼き店が普及したことに着目し,お好み焼き店が成立した歴史的背景と消費者の需要の相違点から,広島にお好み焼き店が普及した要因を考察した。広島にお好み焼き店が普及した要因として,文献や聞き取り調査で以下のことがわかった。広島でお好み焼きが普及した歴史的要因として,広島でのキャベツの国産品種の育成地の成立,小麦の需要が拡大,広島風お好み焼きのルーツとなる一銭洋食の普及,お好み焼きに合うソースの開発,1975年に広島カープが初のリーグ優勝,の5つが挙げられる。お好み焼きの普及に伴い,お好み焼き店も普及し,消費者の需要に合わせて,お好み焼き店の経営形態が多様化していったと考えられる。本レポートでは,それぞれの経営形態を独自に定義し,各経営形態の特徴を明らかにした。聞き取り調査では,お好み焼き店を経営する経営者の観点から,消費者の需要の相違を明らかにし,各経営形態の特徴を考察した。最終章では,お好み焼き店を経営する経営者の観点だけでなく,お好み焼き店を利用する消費者の観点から需要の相違を明らかにするためにアンケート調査を行った。アンケートの調査内容は,消費者の属性,お好み焼き店を利用する頻度,4つ経営形態のうちどの形態をよく利用するか,また,消費者がお好み焼き店を選ぶ際に,価格や味・地名度・立地条件などのうち,どの点を重視するかを調査した。結果からまず、対象者のよく利用する経営形態を比較した。ここでは大きな違いがあり、広島県出身者は家でお好み焼きを頻繁に作っているということが分かった。その他に広島県以外の人は認知度の高いチェーン店を利用し広島県出身者は馴染みある個人経営店を利用する傾向があると分かった。重視するものに関しては広島県出身者も広島県以外の人でもほぼ同じ結果となった。1番が美味しさ2番目に安さ3番目に近さとなった。次に実家暮らしと一人暮らしで経営形態の利用に違いがあるか比較すると実家では家出お好み焼きを頻繁に作りチェーン店もよく利用しているが、一人暮らしではチェーン店をよく利用し、家ではあまりお好み焼きを作っていないことが分かった。アンケートでは、やはり広島県出身者は他県の人に比べよくお好み焼きを作り食べに行っていることや消費者のお好み焼きに関する趣向が明確となった。

 

◆2010年度生(3名)

小坂 昌寛
卒業研究テーマ アグリビジネスがもたらす発展途上国の食料不足
研究概要

 現在、世界的な人口増加や工業用エタノールの使用増加に伴って、食料の確保がより一層重要な課題となっている。この食料確保の問題に関して、FAO事務局長はFAOホームページ内で次のように述べている。「長期的な食料安全保障の鍵は2050年までに90億人に達するであろう世界の人口に必要な食料を生産できるよう、発展途上国の農業部門に投資することである。(FAO事務局長ジャック・ディウフ)」このように世界的レベルでの食料確保を考えた場合に、発展途上国での穀物生産拡大は必要不可欠である。しかし、現在、世界を養うのに世界全体で十分な量の食料を生産する能力があっても、それが必ずしも飢餓のない世界になることを意味するものではないと言われている。例えば、現在必要な栄養を摂取できずにいる人々が世界で9億人にものぼっているが、2008年の統計では、まだ食べられる状態で捨てられる食料は日本国内だけで500〜900万トンに達している。これは世界の食料援助の総量を上回っているとされている。(正井,2010)さらに、肥満率1位のアメリカは、総人口の3割以上が肥満とされており、肥満の低年齢化にも悩まされている。米カリフォルニア州サンフランシスコでは、2010年10月にマクドナルドのハッピーセットについてくる、おまけのおもちゃを禁止する条例まで可決された。一方で、発展途上国においては、2009年には栄養不足人口が10億人を超えた。これは世界人口比20%という高い数値であり、アフリカや南アジアに集中している。技術の進歩により、食料生産効率は上昇しているにも関わらず、発展途上国は依然として食料不足に苦しんでいる。
本稿では、アグリビジネスによって、発展途上国の食料不足問題がもたらされているということを明らかにすることを目的とする。まず、第二章で、アグリビジネスの恩恵がどのようなものであるかを確認する。次に、アグリビジネスがどのような形で発展途上国に進出し、どのような影響を与えたのか確認する。第四章では、発展途上国が先進国に比べ、アグリビジネスの恩恵を受けることが難しく、発展途上国の食料不足が、このアグリビジネスによってもたらされていることを考察する。そして第五章で、むすびとして全体をまとめる。

 

 

垂水 大
卒業研究テーマ 広島県におけるアカペラの伝播と定着
研究概要

 本研究では、アカペラが広島にどういった経緯で伝播し、定着していったのかを明らかにする。研究するに至った経緯は、私がアカペラサークルに入って活動をしていく中で、アカペラの歴史に興味を持ったためである。アカペラは、2002年から放送されたハモネプによって全国に認知されプレーヤーが増加した。広島でも同じようにプレーヤーが増加していったが、それ以前はどれくらいプレーヤーがいたのか、いたとすればどういった経緯で広島に伝播したのか、また、どれくらいアカペラというものが広島に定着しているのかということに興味が湧いたためである。
調査は、アカペラについての文献が管見の限りでは見つけることができなかったため、主にアカペラ関係者への聞き取り調査で行った。
本稿では、?章で2002年のハモネプ放送以前の広島はアカペラという演奏形態がすでに存在したのかを調査し、そこからどのように伝播していったのかを明らかにする。?章では、現在の広島県ではどのようにアカペラが定着しているのかを明らかにする。その方法としては、広島県内の大学のアカペラサークルの人数推移と広島県内のアカペライベントの数を2001年と比較することによって明らかにする。?章では、?章と?章で明らかになったことを合わせて広島県にアカペラがどのくらい定着しているかを考察する。
考察では、広島県には1994年以前からアメリカ海兵のT氏を中心としたアカペラグループが存在していたということが分かった。また、広島工業大学の学生がT氏と関わり積極的に広島県内で活動し認知度を上げ、澤田和信氏が広島県内外で積極的に活動の輪を広げていったことが広島県のアカペラの基盤を作った。そして、広島県外から移住してきた今野地塩氏がアカペラ講習会やイベント企画を行なうなどしてアカペラプレーヤーが活動しやすい環境を作ったことに加え、ハモネプが放送されたことでアカペラプレーヤーが増加し、広島県内で大学アカペラサークルがいくつか設立された。広島県内の大学アカペラサークル代表者に設立から現在までの人数推移を聞き取り調査した結果、ハモネプ放送前に比べ2009年には人数が6倍に増加した。そのため、アカペラプレーヤーが少ないため中国地方と四国地方と合同でイベントをやっていた2000年に比べ、現在は広島県のアカペラプレーヤーのみで複数のイベントを行なえるようになった。このことから、広島県にアカペラが着々と定着しているということが分かった。

 

新田 真弓
卒業研究テーマ 日本と韓国の漬物の現状から見る伝統ある漬物の時代別変化と動向
研究概要

 韓国のキムチ、日本の漬物は古い歴史を持つと共に、さまざまな種類があるという点で類似している。その他にも類似点が多い韓国のキムチと日本の漬物であるが、時代によって双方がどのように変化し広がりを見せていったのか。そこで、韓国のキムチを本レポートでは韓国を代表する漬物とし、両国の漬物の時代別変化と生産量を調べ、これからの両国の漬物の動向について考察することを目的とした。
?章では日韓における漬物の発展について調べ、両国の漬物の発展過程を時代別に明らかにし、両国の地域別漬物の特色についても論じている。?章では韓国のキムチの中でも白菜キムチに焦点を置き、2000年から2007年のキムチ、白菜キムチ、キムチの生産量について調べ、年によっての生産量の増減について明らかにした。日本の漬物生産量は1989年、1997年、2002年、2008年と年代を特定し、その年の生産量上位5位の漬物から日本ではどのような漬物が多く漬けられ、日本の漬物の生産量の変化の要因を明らかにした。
韓国のキムチも日本の漬物も保存食としての意味合いが強く、最初は両国の漬物共に単に野菜を塩で漬けるといった、シンプルなものであった。しかし、両国共に時代が進み、外来文化が伝わってくるにつれ、それらが取り入れられるようになり、漬物もシンプルなものからバリエーション豊かなものになった。
生産量から見ると、韓国の場合、異常気象、異物混入事件などにより、原材料の価格が高騰し、それらがキムチの生産量の増減に大きく繋がっている。キムチの生産量自体は減少傾向にあるものの、毎年キムチの約7割は白菜キムチが占めており、韓国では白菜キムチが多く食べられているという結果となった。日本は、外来文化が入ってくることにより、漬物の種類が増え発達していったともいえるが、逆に日本独自の伝統が薄れていき、漬物生産量が減少している。2008年の漬物生産量を見ると韓国のキムチが日本で漬物生産量1位となっており、日本でも韓国の味が受け入れられていることがわかった。最近の円高で日本人の韓国旅行者が増えたのと、空前の韓国ブームにより、これからより一層、韓国キムチの生産量が日本でも伸びてくると考えられる。
韓国は外来文化と上手く調和しながらこれからもキムチの種類が増えると思われる。しかし、日本の場合、外来文化に押され、日本独自の漬物の伝統が薄れていくことが考えられる。

 

◆2009年度生(6名)

和泉 智志
卒業研究テーマ 日本の観光産業の課題
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 観光産業が日本のリーディング産業になる意味はとても大きい。一国の経済に左右されない国づくり、少子高齢化が進んだ場合への対策など、重要な意味を持つ。観光産業が日本のリーディング産業になるためには、まだまだ改善すべきことは多い。しかし、様々な取り組みにより、課題も徐々に改善されつつあり、日本のリーディング産業に向けて進歩していることが明らかになった。

 

江上 貴一
卒業研究テーマ 日韓貿易が与えた韓国経済への影響
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 以上、日韓のこれまで行ってきた貿易から両国の発展過程をたどり、韓国は日本と貿易を行うことによって韓国国内の産業構造においてどのような影響を及ぼしたかについて主に記述してきたが、本論文では日韓貿易による動向から韓国両国の経済発展の過程において日本はどのように影響をおよぼしてきたか、また主にどのような製品を韓国は輸出入してきたかを研究目的として、韓国が隣国である日本との貿易を重視し、日本、韓国両国が電気・電子産業を中心とした機械に関する産業において比較的類似した貿易または経済発展を遂げてきたこと、また韓国は主力産業である半導体、平面ディスプレイの産業の中間財を対日貿易の依存によって成長させてきたという事実が明らかになった。本研究では韓国の経済発展が日本から受けた影響について記述したが日本側の経済発展の過程について研究する必要性があった。今後は裏づけとなる事実の研究を行う必要性がある。

 

この論文は学部の卒業研究発表会で発表した優秀論文です。
大田 なな子

卒業研究テーマ サメ料理の地域的意味〜広島県備北地域と三重県伊勢志摩地方北東部を事例として〜
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 サメは高級食材のフカヒレの印象が強いが、日本各地でサメ肉を使った郷土料理が存在している。地域によって料理の種類はさまざまだが、沿岸部と山間部で意味合いが変わってくる。 広島県備北地域のような山間部でのサメは、腐りにくいため、海の幸に恵まれていない地域で手に入る唯一の海魚で、正月や祭りやもてなしのご馳走として重宝されていた。山間部とはいえ、比較的近くにサメ漁の盛んな漁港があったことが、持ち込まれる理由のひとつとなった。また、唯一の海魚であったが、比較的安価で手に入れることができたのも備北地域にサメ料理が普及したことに繋がったと考えられる。安価だったのは、サメ1体から多くの肉がとれること、もともと廃棄される部位だったことが挙げられる。腐りにくいとはいえ、漁村から山間部に持ち込まれるまでに、多少のアンモニア臭があったが、備北地域の人々は臭いがきついほうがおいしいとしていて、臭いをきつくするため、食べる前にわざと囲炉裏に置くこともあった。 一方で、沿岸部である三重県伊勢志摩地方北東部のような地域では、他にも新鮮な海魚が手に入りやすい環境だったため、山間部のようにご馳走としての位置づけではなく、酒の肴や弁当のおかずなどといった日常食としての位置づけであった。しかし、地域の人々にとって日常で食されており、伊勢神宮の神饌としても供えられている。神饌は、古代の人々の日常食や珍しいとされた食品を供えており、旧儀を尊ぶ神宮では、できるだけ古代からの習慣を受け継いできている。そのため、伊勢志摩地域でサメは古くから食されてきたことがうかがえる。また、同じ三重県内でもさめのたれを知らない人がいるが、伊勢志摩地域の人々にはどこにでもある食材として認識されている。

 

田中 直
卒業研究テーマ 京都・奈良における社寺を中心とした町なみ形成の比較
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 本レポートでは、現在も古の佇まいを色濃く残す京都と奈良の町、とりわけ、社寺にスポットを当て、社寺を中心とした町なみ形成についての調査を行った。また、この二つの町における町なみの形成の比較を研究目的として、共通点と差異についても研究することを課題とした。今回の研究では、本レポートの核でもある町なみ形成について、町なみの特徴、家なみの特徴、町なみ保存の歴史の3つの視点から研究を進めた。反省点としては、それぞれの地区で暮らしている住民の立場に立った視点からの検討が不足していた。おそらく、土地特有の考えや生活様式・慣習は大きく異なることが考えられる。今後は、その観点から京都と奈良の違いをみていきたい。

 

田村 真治
卒業研究テーマ 広島県と愛媛県での主要な柑橘類栽培における地域差異が起きた要因
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 この研究は広島県と愛媛県の主要な柑橘類栽培における地域差異が起きた要因を調べることを目的としている。今回広島県及び愛媛県の柑橘類栽培について、両県の柑橘類栽培を行ってきた歴史と現状を調べてきた。当初は両県をみかんについて比較すると述べていたが、広島県のみかん栽培の資料が愛媛県と比べ少ないので純粋にみかんについての比較ができなかった。しかし、広島県の柑橘類栽培と愛媛県の柑橘類栽培を比較することで両県に起きている地域差異を見つけることができた。両県の間に起きている地域差異を生じさせている要因は、先述したブランドみかんの多少、もう1つは農業経営方針の違いの2つである。この2つの差異があるため、両県の柑橘類栽培においてそれぞれ特徴が生じているのである。愛媛県の柑橘類栽培は全国的に確立されたブランドみかんが多くあるために、現在柑橘類の栽培面積、収穫量が減少している中でも、みかんの生産に傾注している。広島県の柑橘類栽培はみかん価格の暴落を契機に、より価格の安定している中晩柑類の生産に傾注するように方針を転換した。この差異が、瀬戸内海を隔てた場所に位置する隣県にもかかわらず、柑橘類の生産品目、生産量に大きな差を引き起こしている。このような地域差異は、柑橘類栽培産地として近隣に位置する両県にとって、今後柑橘類栽培を行っていくうえでメリットになる。つまり愛媛県はみかん栽培に特化し、広島県は中晩柑類生産に特化していけば、両産地間での競争がなくなり産地の保全ができる。また農家を栽培柑橘に専従させることができ、より高品質な柑橘の開発や栽培が行えるようになると考える。 しかし、両県にも課題点がある。両県に共通する課題として、農業従事者の高齢化問題が挙げられる。柑橘類栽培を行っている地域は傾斜地が多く、体への負担が大きい。事実、高齢に伴い樹園地を手放す農家もいる。農業従事者の高齢化問題を解決できなければ、規模の大きな栽培地域であっても、栽培面積の減少、収穫量の減少、さらには土地の荒廃をも招いてしまうであろう。また老樹の更新や、樹園地までのモノレールなどの更新費用が必要になるが、生産力が低下することで更新費用が賄えなくなるかもしれない。こうしたことも産地の荒廃につながる。この課題を解決できなければ、両県の柑橘類栽培はさらに衰退していくであろう。早急に若い農業従事者を確保することが先決である。そのためにはより一層の産地の安定化が必要になるだろう。両県に限らず、全国の農業の最大の課題である。

 

中川 恵理
卒業研究テーマ 漂着ごみの実態と国内における海域別影響
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 本レポートでは、国内における漂着ごみの海域別影響と対策を研究目的として調査した。現段階で漂着ごみは社会、生態面に多大な影響を及ぼしていることがわかった。今後の課題としては考察に書いたが、全体として意識の変化と協力体制がキーワードとなるだろう。日本が今の漂着ごみに関する法律や制度が実質的に効果を発揮し、持続可能な回収制度を確立し、さらに漂着ごみの発生を食い止める方法を生み出せていけるのかがこれからの日本の大きな課題である。また、漂着ごみの差異を大きく三つの海域に分け、その中から特定の特徴を持つ海岸をピックアップし調査したが、同じ海域においてもさらに細かい視点で見ることが必要である。

  

◆2008年度生(2名)

この論文は学部の卒業研究発表会で発表した優秀論文です。
宮島 藍
卒業研究テーマ 鞆の浦における町並み保全と観光の関係性
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 本研究では、歴史的な古い町並みを残す鞆の浦において、町並み保全と観光の関係性について明らかにすることを目的とした。鞆の浦における町並み保全活動と観光客数の動向や観光客の形態を年毎に比較・検討した結果、歴史的町並みが注目され保全活動が活発化した時期と観光客数増加の時期が重なっており、町並み保全が観光に大きく影響していることが分かった。また観光が町並み保全活動に影響され活性化していることから、鞆の浦の歴史的な町並みや町並み保全の重要性は高いといえる。歴史的な町並みはいまや鞆の浦の核であり非常に価値のあるものである。都市化により性格が急速に変化する地域は少なくない。その中で、江戸時代から現在に至るまで継承されてきた鞆の浦の町並みは、今後も保全し継承すべきであると考える。町並みの重要性を認識し、価値の維持が求められる。

 

この論文は学部の卒業研究発表会で発表した優秀論文です。
元山 明子
卒業研究テーマ 製塩業にみる安芸の小京都竹原と備後国福山の地域発展の比較
研究概要(「おわりに」を抜粋)

 本レポートでは、製塩業で繁栄した地域は、どのような地域発展を遂げるのか、これは地域によって違いがあるのであろうか、ということを明らかにすることを研究目的とし、製塩業で発展した広島県竹原市と福山市を事例として、製塩業が町に与えた影響と同じ塩業で発展の基礎を築いた町の近代以後の地域発展の違いについて研究をすすめていった。
対象地域の広島県竹原市は、県の南央部に位置し、瀬戸内海に面する芸南地域の中核
市である。山々に囲まれ、急峻な地形が海外線近くまで迫り、かつては製塩業と港で栄え
た。もう一つの対象地域である、広島県福山市は、県の東端に位置する都市で、政令中核
市である。都市銀行や証券会社などの大手企業の営業拠点や国・県の出先機関が多く存
している。
対象地域の二か所には、製塩業で経済的基盤を強固なものにし、発展の基礎を築いたと
いう共通点がある。竹原市に築造された塩田は、竹原塩田と呼ばれていた。しかし、竹原
塩田は最初から塩浜築造を目的として開発されたわけではなく、諸藩では海面埋め立てに
よる新田開発がブームだった。竹原でも新田開発が実施されたが、塩気が強く農地に適さ
なかったため、赤穂から製塩技術者を招き、塩田に転換した。福山市に作られ、松永塩田
と名付けられた塩田も、赤穂塩田と同じ手法を採用しているので、竹原塩田と同じく、赤
穂系とみられてもよいとされている。実際の塩田経営には、すでに隣藩の竹原塩田の浜主
たちが参加していたので、竹原塩田と松永塩田には関わりがあったということが明らかに
なった。これらの製塩業が、町に与えた影響がある。まず、竹原塩田が竹原市へ与えた影
響だ。竹原塩田の築調には、莫大な工場費を必要としたので、かなり危険な投資だったの
だが、1650 年に塩田経営は成功した。そして、17 世紀半ばには、芸備地方第一の塩の産
となった。良質の塩や周辺地域の年貢米の集積拠点となったことで、廻船の寄港地として
廻船業が栄えるなど、瀬戸内海を源とした産業により、当時の中心的な町として急速に発
展し、人口増加にも繋がった。製塩業は、現在でも竹原市で行われている酒造業の発展と
も関わりがある。竹原の酒造業は、塩業で財をなくした浜旦那が始めたといわれている。
福山市松永町に造られたことにより、松永塩田と名付けられた塩田も、福山市に影響を与
えた。松永塩田の開発事情については、本庄重政が1656 年に沼隈郡柳津新田を築き、翌
1657 年には深津郡各地の新田、また1659 年には高須新涯を開き、いずれも好成績をおさ
めたため、1660 年の春から松永開拓に着工し、まず堤を開き、街を設けて商人を招き、1667
年には塩務を完成し、幕府の許可を得て松永と命名した。松永塩田の築造にあたって、指
導者の本庄重政がかつて寄宿した赤穂藩の塩田に習い、さらに赤穂流の技術を伝習した竹原塩田の浜方から経営・技術者を呼んで実務にあたらしている。そして、この製塩業が、
下駄産業という新たな産業を生み出すことになった。山陰地方へ塩を運ぶ船は、海水を濃
縮したかん水を煮詰めるための薪を積んで帰る。その中に、軽くて加工しやすいアブラギ
があり、アブラギは桐によく似た素材だったので、桐下駄製造小売業を開業していた丸山
茂助は、これに注目して安価な下駄の生産にのりだした。メーカー、下請け、加工職人、
家庭での内職など、松永の住民の一家に一人はなんらかの形で、下駄産業に携わったと
われるほど、活気づいた。松永下駄が発展した要因として、海岸に位置するため原木の輸
送に便利である。塩浜の海水導入のための水路が材木運搬に利用できる。下駄が日用品
消費が激しかったの3 点が挙げられる。
塩の生産が多くなりすぎたため、値段が下がり、生産を調整するようになった結果、塩
田は廃止されることとなった。塩田経営が廃止された後の、塩田跡地利用は、竹原市は政
府補償のもとに整理されて、駅・商店・工場用地となった。1932 年に開業し、現在でも竹
原市の代表駅である竹原駅の裏に、塩田が広がっていた。また、塩田跡には、金属工場が
建っている。1960 年に松永塩田が廃止されてからの跡地利用は、空地・荒れ地・住宅地・
工場地となっている。
製塩業が盛んであった時代は、竹原市の方が経済発展をしていたにも関わらず、現在は
人口や産業など全ての規模において福山市の方が勝っている。竹原市は、三井金属鉱業
原精煉所の立地、作業用手袋製造やジャム製造など全国でもトップシェアを占める特徴的
な企業も集積しているのだが、1980 年以降、人口減少が続いていて、人口減少と少子高齢
化に歯止めがかからない状況にある。このことは産業に大きな影響を与えており、竹原市
は、非鉄金属や食品加工などの製造業が基幹産業となっているが、その製造品出荷額などの落ち込みは大きくなっている。また、若者の就業ニーズも製造業から他業種へと移行し、そこに雇用のミスマッチが生じ、就業に関係する理由で若者が市域外へ流出するといった状況になるなどで、経済面、雇用面での課題も山積みなのだ。福山市は、日本鋼管福山製鉄所が芦田川河口に立地し、この地域における最大規模の工場となった他、機械・金属・電機・ゴム・繊維および食料品など多種多様の工業が比較的新しく興り、かつての城下町は、現在では活気のあふれる重化学工業都市に変容し、人口も急激に増加している。近代以後、このように発展の差が広がったのは、新たな産業の出現が大きな理由だと考えられる。福山市は新たな産業の出現により、雇用面での問題が少ないので、現在でも発展を続けているのだといえる。

 

 To the top page

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system